東京オリンピック・パラリンピック担当大臣を務め、さらに組織委員会の委員長とも目されている橋本聖子。
橋本聖子の若いころは、スピードスケートや自転車競技選手として、オリンピックに出場しており、若いころの橋本聖子の画像が気になりますね。
今回は、橋本聖子の若いころの画像や経歴などをまとめていきます。
橋本聖子の若い頃の画像まとめ!選手時代から初当選まで!
スポーツ選手として活躍していた橋本聖子は、オリンピックでメダル獲得するために、トレーニングを積んでいました。
そんなころに1988年に「橋本聖子のすべて」という書籍が出版されました。
表紙には橋本聖子の若い頃、当時24歳の時の姿が映されていました。
スポーツ選手だけあって、スタイルがよくモデルさんのようですね。
こちらは同じく1988年のソウルオリンピックの時の画像です。
橋本聖子がかけているメガネもそうですが、さかなクンに似ている?と思ってしまいました。
1992年にはアルベールビルオリンピックに出場し、スピードスケート女子1500mで銅メダルを獲得しました。
橋本聖子のスピードスケート選手として現役の頃の全身画像がこちらです。
スマートながらも、太ももの筋肉がかっこいいですね。
当時、冬季オリンピックでは初の日本人女性のメダリストとして大きく注目されました。
こちらの顔写真を見ると、肌の調子もよくつやつやした印象で、スポーツ選手でありながらきれいな風貌をキープしているのがわかります。
1995年には自民党公認候補として参議院選挙に出馬。
2000年の参院選のポスターの画像がこちらです。
生まれたばかりの赤ちゃんとの2ショット画像が有権者の心をつかんだようでした。
女性蔑視発言で東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の委員長を辞任した森喜朗元首相にも、生まれた子供を抱っこしてもらっていました。
自民党議員として、森喜朗とも関係が深いことがわかります。
橋本聖子の若い頃の経歴!五輪に7回出場していた!
橋本聖子の若い頃の学歴!最終学歴は高卒!
橋本聖子の出身高校は駒澤大学付属苫小牧高校でした。
駒大苫小牧は野球の強豪校としても有名で、プロ野球選手の田中将大投手の出身校でもあります。
スポーツ強豪校として、スピードスケートやアイスホッケーも強いです。
橋本聖子は高校時代に肝臓病を患い、一時命が危ぶまれる状況でした。
しかしその後回復し、全日本選手権で4種目完全制覇の偉業を達成し、将来はオリンピック選手として活躍することが期待されていました。
若い頃のオリンピック出場歴は計7回!
その後のオリンピックや世界大会の出場歴は見事なものでした。
- 1984年、19歳の時に冬季オリンピックサラエボ大会に出場
- 1988年、23歳の時にソウルオリンピックに自転車競技で出場
- 1990年、25歳の時に世界選手権で銀メダルを獲得
- 1992年、冬季オリンピック・アルベールビル大会のスピードスケート1500mで銅メダルを獲得
- 1992年バルセロナオリンピックに自転車競技で出場
- 1996年アトランタオリンピックに自転車競技で出場
1992年のアルベールビルオリンピックで銅メダルを獲得した橋本聖子。
当時では日本人女性初の冬季オリンピックメダリストとして大注目されました。
また橋本聖子は、自転車競技選手として夏季オリンピックにも出場。
冬季大会・夏季大会とオリンピックに出場できる選手はなかなかいませんよね。
メダルは獲得数は1個ですが、計7回のオリンピックに出場することだけで、かなりの偉業ですね。
1995年に自民党から参議院選挙に立候補し初当選を果たしてからは、政治家・スポーツ選手の二足のわらじを履いて活動していました。
橋本聖子の行動力・体力は相当なものであったことがわかりますね。
しかし政治家とスポーツ選手の同時並行な活動に対し、当時の世間からあまり評判がよくなく「自転車競技と政治家の両方の世界を傷つけた」などといわれました。
当時32歳だった橋本聖子は、アトランタオリンピックを最後にスポーツ選手を引退します。
橋本聖子のプロフィール!
名前 | 橋本 聖子(はしもと せいこ) |
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生年月日 | 1964年10月5日 |
出身地 | 北海道安平町 |
職業 | 元スケート選手・元自転車競技選手・国会議員・国務大臣・五輪組織委員会委員長 |
1964年生まれの橋本聖子は、2021年で57歳になります。
名前の「聖子」の由来は、オリンピックの「聖火」とのことで、
両親は橋本聖子に、将来オリンピックで活躍してほしいという思いがあったのかもしれませんね。
橋本聖子の政治家としての経歴!
橋本聖子の政治家としての経歴も気になります。
橋本聖子は、1995年に参議院選挙に初当選してから、自民党内で輝かしい役職に就いてきました。
- 2003年 自民党副幹事長に就任
- 2005年 自民党女性局長に就任
- 2008年 外務副大臣に就任
- 2012年 参議院自由民主党政策審議会長就任
2021年2月現在、
- 内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)
- 東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣
を務めています。
今後オリンピック・パラリンピック組織委員会の委員長に就任するため、大臣の役職は辞任することになります。