「今日から俺は!」や朝ドラ「ひよっこ」で脚光を浴びる俳優の磯村勇斗。
出身中学や高校が地元静岡沼津市のどこなのか?噂の高校が女子ばかりなのは本当なのか?気になります。
今回は、磯村勇斗の学歴(出身中学・高校・大学)など学生時代のエピソードなどをまとめていきます。
磯村勇斗の出身中学は沼津市立第一中学校!
磯村勇斗の出身中学校は、地元静岡県沼津市の沼津第一中学校です。
沼津駅にほど近い沼津市中心部の中学校に通っていました。
磯村勇斗の実家も沼津駅の近くにありそうですね。
スポーツが大好きだった磯村少年は、中学の部活でバスケットボール部に在籍していました。
かなり運動神経が良かったそうで、バスケ部では結構活躍していました。
俳優志望のきっかけとなった自主制作映画
磯村勇斗は中学校の課外授業で、15分ほどの自主映画を制作します。
題名は「ヌマヅの少女ハイジ」というパロディ映画で、磯村自身で脚本・主人公ハイジを演じました。
「中学2年生の時、学校の授業の課題で友達と自主製作の映画を作ったことがきっかけです。
『ヌマヅの少女ハイジ』という15分ぐらいの作品で、脚本もカメラも自分でこなし、ハイジ役も自分で演じました(笑)。
それを学校で上演した時に、すごくたくさんの拍手をもらったんです。 演じて面白い上、こんなにも評価してもらえるなんて、なんて楽しいんだろう。
この楽しさを感じるには、俳優になるしかない!と思いました」
磯村は、中学時代の自主映画制作について、自分が演じて面白い上にみんなにも楽しんでもらえることにとても楽しさを感じました。
この自主映画制作の経験が、磯村が俳優を志望する大きなきっかけとなりました。
自主映画制作はかなりの出来栄えだったそうです。
磯村の父親がパソコン関係に詳しかったこともありますが、10年以上前は動画編集を簡単にできる環境は少なかったです。
中学生でPCを使って動画編集をしていたというのは、行動力がとてもあります。
モデルのオーディションに応募していた!
そして中学時代には、モデルのオーディションにも応募していました。
磯村勇斗公式ブログには、
”JUNON BOYは中学の時かな?たしか…1度応募したような記憶が…笑。
携帯で初めて自撮りした覚えだけはあります。”
応募したオーディションは「JUNON BOY」でした。
積極的に、オーディションに応募するとは、芸能界への情熱が感じられますね。
磯村勇斗の出身高校は沼津西高校!
磯村勇斗の通っていた高校は、静岡県立沼津西高校で地元でした。
沼津西高校は普通科と美術科があり、美術科は音楽・武術・書道のいずれかを専攻する科です。
磯村勇斗は一般入試で、普通科に入学しました。
沼津西高校の普通科の偏差値は59。
きちんと勉強しないと合格はできませんので、磯村は頭が良かったことがわかります。
高校の女子率が高すぎ!理由は?
沼津西高校は県立の共学校ですが、実は女子率がかなり高いと地元では有名でした。
<2018年6月現在生徒数>
男子:268人
女子:447人
女子の割合が6~7割であることがわかります。
実は沼津西高校は元もと女子校で、1901年開校の伝統校でした。
共学になったのは2003年とつい最近でした。
昔から女子校のイメージの強かった沼津西高校なので、男子の受験者数が少ないのかもしれません。
でもバスケットボール部に在籍していて、運動神経もよかった磯村。
176cmでイケメンの磯村勇斗であれば、高校でかなりモテたのでは?と容易に想像がつきます。
沼津では有名な進学校
偏差値が高いこともあって、地元では進学校として知られています。
4割の生徒が国公立大学に進学していて、そのほか多くが有名私立大学に進学しています。
<進学実績 2018年>
- 静岡大学 4人
- 静岡県立大学 3人
- 東京藝術大学 2人
- 名古屋大学 1人
- 東京工業大学 1人
- 明治大学 2人
- 法政大学 2人
- 早稲田大学 1人
高校進学するつもりはなかった!理由は?
進学校に入学した磯村勇斗でしたが、本当は高校に進学するつもりはなかったそうです。
理由は、中学生時代から強い俳優志望を持っていたからでした。
磯村は、中学卒業後にすぐ上京して俳優になるつもりでした。
「一刻も早く東京に出て活動したいと思ったので、『中学を卒業したら東京に出たい』と両親に伝えましたが、『せめて高校だけは卒業しろ』と猛反対されて。
それで地元の高校に進学しました」
しかし、進学せず上京する磯村の考えに両親は猛反対します。
結果的に、地元の高校に進学することになりました。
とはいっても、進学校の沼津西高校に入学できたということは、かなり頭が良かったと想像できます。
地元の劇団に所属し腕を磨く
そんな俳優を強く志望していた磯村は、役者をやりたいという気持ちが抑えきれませんでした。
そして地元にある4つ劇団に電話で頼みこみます。
高校2年生の頃から地元の劇団「沼津演劇研究会」に所属します。
週1で通っていた劇団ですが、間もなく高校2年生の冬に初舞台に立たせてもらっていました。
高校の卒業生は?
磯村勇斗が通った沼津西高校には他に有名人の卒業生がいるのか調べると、
コメンテーター・政治家の田嶋陽子がいました。
テレビ番組「ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」に出演し、
ストレートで毒舌なコメントをしてインパクトがありますね。
磯村勇斗の出身大学は桜美林大学!
磯村勇斗の出身大学は、地元沼津から離れ東京の桜美林大学に通います。
磯村は、芸術文化学群の演劇ダンス専修に2011年4月から通い、演劇の勉強を始めます。
偏差値は43と容易ですが、AO入試や実技試験の裁量が大きいようです。
大学進学のつもりはなかった…
元もとは高校卒業後、芸能事務所や劇団の所属を考えていた磯村ですが、
高校進学の時と同様に、両親が大学進学を勧めます。
磯村は折り合いをつける形で、演劇が学べる桜美林大学に進学しました。
進路を決めるときの家庭内でも壮絶エピソードを、2017年8月26日発行の日刊スポーツインタビューで語っていました。
「修羅場でした(笑)。
本当は、大学に進学せずにプロダクションや劇団に入りたくて、みんなが受験勉強している間、雑誌やインターネットでどんなプロダクションがあるかを調べていました。
でも、両親が猛反対で…。
反抗して数日家に帰らなかったりもしましたが、『自分には夢がある。やりたい道を進みたいから応援してほしい』と伝えて、最終的には『演技の勉強ができる大学へ行く』ということで了承してもらえたんです」
高校時代から俳優になりたいという明確な夢を持っていたのがすごいですね。
両親の猛反対があった中、演劇の大学に進むという折り合いをつけることができたのは、磯村が大人だったということでしょう。
大学3年生の頃に中退!その理由
しかし磯村勇斗は大学3年生の時、桜美林大学を中退することに決めます。
「実は大学は2年半で中退してしまいました。
大学でも1年に数本の舞台はあったのですが、結局は学生の授業。
4年間も大学に居たら、自分の熱意がどんどん失われていく気がしたし、毎日満足できなくなったんです。
”もっと外の世界を見たい””いろんなものを吸収した”
”一刻も早くプロとしてやっている方と一緒に演じたい”という気持ちでいっぱいになり、結局、中退しました」
大学の生ぬるい環境にいたままでは、視野を広げることができないという危機感が募っていったようです。
大学にいることで自分の熱意がどんどん失われていくことは耐えられなかったかもしれませんね。
そして、大学中退の決断が両親との関係悪化につながり、ほぼ縁切り状態だったそうです。
しかし、朝ドラ「ひよっこ」の出演が決まったときには、母親は泣いて喜んだそうです。
中退後は極貧下積み生活
磯村は桜美林大学中退後、俳優の下積み時代へと突入します。
仕送りもなくなり、居酒屋やカフェでアルバイトしながら、オーディションをたくさん受け続けていました。
時には生活資金がカツカツとなって、友人に食料を分けてもらうこともあり、かなりの極貧生活を送っていました。
そんな中、徐々に仕事がもらえるようになり、2013年の映画「生贄のジレンマ」で俳優デビューを果たします。
この時磯村は21歳でした。
そして翌年2014年には「事件救命医2」でドラマ初出演を果たします。
その後も1年に1作品ほどのペースで、仕事をもらうようになりました。
磯村勇斗のプロフィール
本名 | 磯村 勇斗(いそむら ゆうと) |
---|---|
生年月日 | 1992年9月11日 |
出身地 | 静岡県沼津市 |
身長・体重 | 176cm・? |
血液型 | A型 |
職業 | 俳優 |
所属事務所 | BLUE LABEL |
磯村勇斗は芸名でもあり、本名でした。
1992年生まれで、2020年で28歳を迎えました。
磯村の家族は、4人家族
両親と、8歳年上の兄がいました。
母親は教育熱心で、磯村がいい点を取るとおもちゃを買ってくれてたそうです。
父親・母親の職業はわかっていませんが、父親はパソコン関係が得意だったそうで、
もしかするとIT関係の会社に勤務しているのかもしれません。
ゲーム好きだった磯村
またゲーム好きだった磯村ですが、ゲーム機が置いてあったのは兄の部屋でした。
「兄の部屋にしかゲーム機が無かったので、そこでやるしかないんですよ(笑い)。
兄が受験の時期だったりすると、勉強に集中するために部屋に入れさせてくれないので、ゲームができないわけです。
なので、兄が塾に行ってる時に部屋でこそっと入ってやったり、兄が風呂に入ってる間に15分ぐらいの間でゲームやったりしていました(笑い)。
子供の頃から今もそうですけど、ゲームは毎日のようにやっていますし、それくらい好きですね。
兄がいないときを狙って、ゲームを楽しんでいたというエピソードがかわいいですね。
幼少期から芸能界に憧れ
磯村は人前に出て人を笑わすことが好きだったそうで、小学生のころから芸能界に憧れていました。
「人にチヤホヤされたり、有名になりたいという願望が、ひそかに自分の中にあって、芸能界ってどんな世界なのか見てみたいっていう好奇心もあったし、ずっと憧れていて」
当時は俳優ではなく、お笑い芸人になりたかったそうで、「アンジャッシュ」や「インパルス」に憧れていたそうです。
出身小学校は沼津第一小学校
磯村勇斗の出身小学校は地元の沼津第一小学校でした。
運動が大好きな少年で、サッカーを頑張っていました。