東大に一発合格しナゾトレブームのパイオニアとも言われる松丸亮吾は、高校時代に母親を病気で亡くしていました。
母親の死因は何だったのか?また母親への後悔があったと話す松丸亮吾のエピソードが気になります。
今回は、松丸亮吾の母親の病気の死因や母親への後悔エピソードなどをまとめていきます。
松丸亮吾の母親の病気・死因は乳がんだった
松丸亮吾の母親の名前は順子さんで、子供たちに寄り添う子供想いな母親でした。
しかし松丸亮吾が高校1年生の時、母親が健康診断で乳がんであることが判明します。
治療のため、母親は摘出手術を受けたものの、その後肺にがんが転移していることが発覚します。
そしてその後のがんの進行はかなり早かったそうです。
そして母親は乳がん発覚から2年もたたないうちに、この世を去りました。
松丸亮吾は反抗期の母親への暴言を後悔
松丸が高1の時に発覚した母親のがんは、父親にだけ打ち明けていました。
そして松丸ら子供たちには心配をかけたくないという想いから、秘密にしていました。
母親の病気発覚時、反抗期に
母親の病気を知らされていない松丸亮吾は、当時反抗期で、
- ゲームセンターに毎日通っていたり
- 学校を抜けだしてサボっていたり
と、荒れた高校生活を送っていました。
今見られる松丸亮吾の優しい笑顔からは、想像がつきませんね。
また松丸は母親に対して、
- 「別のところで生まれたかった」
- 「別にうちに生まれてきたかったわけじゃない」
などと暴言を吐いたり、無視し続けていたりしていました。
しかし母親は何も文句を言わず、松丸の暴言を受け入れていたそうです。
母親の余命わずかを知り、これまでを後悔
次第に母親の病状が悪化していき、食べ物も飲み込みづらくなるなど、日常生活を満足に送れなくなっていきました。
そして父親が病院に呼ばれ医師から、
- 「回復の見込みが厳しい」
- 「もっても半年の命」
と告げられ、母親自身自分の病気が回復に向かうことはないことを知り自宅療養をすることになります。
母親が自宅療養2か月後、母親に会おうとしない松丸に父親が「お母さんに会いなさい」と声をかけましたが、
母親が病気であることを知らない反抗期の松丸亮吾は、自宅療養となった母親に全く会おうとしませんでした。
そして母親が亡くなる1週間前、父親から「今日が最後かもしれない」と告げられた松丸は、「何か様子が変だな」と思い、ようやく母親の部屋へ行きます。
母親は、やせ細って声も出ず、ほとんど息をしていない状態で、松丸はこの時初めて母親が病気であったことを知りました。
反抗期の松丸亮吾がこれまでの暴言や無視してきたことを後悔する瞬間でした。
松丸は母親の横で何時間も泣き続け、何度も謝ったそうです。
当時のことについて、
「結局、産んでくれたのは母。ここまで育ててくれたおかげなのに、一度も感謝の言葉を言えなくて」
と後悔の思いとともに振り返っていました。
そして2012年4月9日、58歳の若さで母親は他界します。
兄DaiGoも後悔していた!
松丸亮吾の兄でメンタリストとして活躍するDaiGoも母親への対応に後悔していました。
母親ががんの再発で苦しんでいるときに、たくさんのテレビ番組に出演していたDaiGoは、
「調子に乗っていた」
とその時を振り返っていました。
「母の順子さんの治療に必要なお金を稼ぐことができる手段を持っていたのは自分だけだった」
という驕りもあったことを打ち明けています。
自分がきちんと稼いでいたら、
「母親にはもっと最先端の治療を受けさせてあげることができただろうし、命も助かっていたかもしれない」
と当時の浮かれた自分自身を悔いていました。
DaiGoは母親の死をきっかけに、仕事とお金に対する考え方が変わったそうです。
松丸亮吾の母親の見つかった遺品を見て、東大受験を決意!
母親の死後、松丸亮吾や父親は遺品整理をしている中で、母親の日記を見つけます。
闘病生活のつらい体調や思いなどが記されていました。
そして最後のページに、
「今の目標、もっと頑張れたら亮吾が大学生になるのを見ること」
と書かれていました。
反抗期の子供に無視されても、憎んだり恨んだりしなかった母親のことを振り返った松丸は、
「こんなことしている場合じゃない、ちゃんと大学行ったよということを示したい」
と思い、東大受験を決意します。
苦手だった英語は長男のDaiGoにサポートしてもらい、英語は三男の怜吾が教え、必死で受験勉強に取り組みました。
高校2年生の冬には300人中298位だった学校の成績が、高校3年生の春には300人中7位まで大逆転の急浮上を果たします。
そして2014年春に東京大学理科一類に見事現役一発合格しました。
母親から松丸へもう一つの贈り物
そして東大一発合格を果たした松丸亮吾へ、母親からもう一つの贈り物がありました。
母親の遺言には「これを将来、亮吾が結婚した時に、お嫁さんにあげたい」と書かれていました。
実は、亮吾への贈り物とは父親と母親が婚約した時の「婚約指輪」でした。
母親は「末っ子が結婚してホッとできる」という想いがあったそうです。
「ありがとう。本当にこんな話一回も聞いたことなかったので、びっくりしたのと、やっぱり母親が撮っといてくれ丹野がうれしい。
僕、一回も挨拶いかなかったので、恨んでいるんじゃないかと思う時もあった。
もっと早くいってよ~」
と2019年24時間テレビの放送時に父親から婚約指輪を渡された松丸亮吾は、嬉しそうに受け取っていました。
松丸亮吾の謎解き好きは母親の影響!子育て金言が偉大!
松丸亮吾が子供の時母親がよく「知識を使わずに楽しく解けるクイズ」や「謎解き」を出していました。
松丸は母親の出題する謎解きの時間が大好きだったそうです。
そして、自分自身もなぞときや クイズを作ってみたいと思うようになり、作った問題を母親に出すと、母親は喜んで解いてくれたそうです。
母親の子育て金言が偉大すぎる!
母親は松丸亮吾の個性を伸ばすと同時に、勉強もきちんとさせるよう教育することw心がけていました。
そこで母親が示した約束事が「勉強を3時間やったらいくらでもゲームしていいよ」でした。
松丸はゲームを楽しむために、朝や学校後の時間を使って夕方までにノルマを達成していました。
松丸亮吾のプロフィール
本名 | 松丸 亮吾(まつまる りょうご) |
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生年月日 | 1995年12月19日 |
出身地 | 千葉県市川市 |
学歴 | 私立麻布高校・東京大学工学部 |
職業 | タレント・クリエイター・社長 |
松丸亮吾は1995年生まれで、2020年で25歳を迎えます。
RIDDLER株式会社の社長を務めていて、
「知識に頼らずひらめきだけで解ける、だれでも楽しめる問題を作成すること」
をスローガンに掲げています。
事業内容は、謎解き関連の書籍出版や問題作成・テレビ出演などを請け負っています。
亮吾は4人兄弟の末っ子
松丸亮吾は4人兄弟の末っ子で、
- 長男はDaiGo
- 次男は彗吾
- 三男は怜吾
です。
長男のDaiGoは、慶應義塾大学理工学部卒でメンタリストとして活躍しています。
またYouTuberやジェネシスヘルスケア株式会社顧問、新潟リハビリテーション大学特任教授を務めています。
次男の彗吾は、大学中退後に独学でプログラマーとなり、現在はアプリ開発をしています。
分散学習帳などのアプリを開発し、科学的根拠のある記憶定着を助ける楽手アプリだそうです。
三男の怜吾は、慶應義塾大学薬学部卒で、卒業後は調香師として活躍していました。
現在は『リフの惑星』というバンドのドラマ―をしていて、渋谷や下北沢などで活動しています。
【新メンバー加入&アー写公開🎉】
今までサポートとして活動してきたドラムの松丸怜吾@matsru5が新メンバーとして加入することになりました!それに伴い新アー写を公開します。今回も撮影は落合モトキくんです!
明日の20:00には新曲もリリースです。
今後ともよろしくお願いします。何卒。 pic.twitter.com/ZZz2If7P4c— リフの惑星 (@riffnowakusei) June 25, 2019
母親は薬剤師だった
松丸亮吾の母親は元薬剤師で、家には物理や化学の本がたくさんありました。
兄のDaiGoは幼少期から母親の本を読んでいたそうです。