小泉内閣で構造改革を先導した竹中平蔵が、最近になってまた頭角を現しています。
随分前から政治の裏舞台で活躍している竹中平蔵の年収は一体いくらなのか?気になります。
今回は竹中平蔵の年収や資産、そして経歴などをまとめていきます。
竹中平蔵の年収はいくら?

竹中平蔵の年収は、現在2億円あると言われています。
竹中平蔵がTOPを務めていることで有名な会社は、パソナです。
竹中平蔵は、得意の人材派遣サービス会社「パソナグループ」の取締役会長を務めています。

パソナグループの役員報酬が公開されていて、竹中平蔵の得ている報酬もおおよそ確認することができます。
<パソナグループ役員報酬一覧>
社長給与:1億5500万円
役員報酬総額:2億7400万円
会長職は役員と同じくらいの報酬と言われているので、
竹中平蔵のパソナからの役員報酬は1億2000万円ほどとされています。
竹中平蔵はその他にも、大学教授や有識者委員など様々な組織で上部役職を務めています。
<竹中平蔵の役職一覧>
- 産業競争力会議 有識者委員
- 国家戦略特別区域諮問会議有識者議員
- パソナグループ 取締役会長 (人材派遣 サービス会社)
- 慶應義塾大学 総合政策学部 教授
- 慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科教授
- 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長
- 森ビルアカデミーヒルズ理事長
- 一般社団法人外国人雇用協議会顧問

かなりたくさんの要職についています。
有識者委員は常任委員の場合、月俸が上限80万円、年間最大1000万円の報酬が発生します。
竹中平蔵は国の会議である「産業競争力会議」「国家戦略特別区域諮問会議有識者議員」の2つの有識者委員を務めています。
有識者委員の報酬の合計は、最大2000万円ほどとされています。

また大学教授も務めている竹中平蔵は、「慶應義塾大学・総合政策学部」「慶應義塾大学大学院・メディアデザイン研究科」の2つの教授職に就いています。
大学教授の平均的な年収は2000万円と言われているので、
2つの教授職に就く竹中平蔵は4000万ほど大学教授としての年収があるとされています。

その他にも、組織の理事長や顧問も務めています。
竹中平蔵の年収を合計すると、
パソナグループ:1億2000万円
有識者委員:2000万円
大学教授:4000万円
その他:1000万円
と多く見積もって、2億円ほどの年収があるとされています。
やはり自分の務めている会社の報酬が一番多いことがわかりますね。
竹中平蔵の資産は?

竹中平蔵の年収とともに気になるのがもっている資産ですね。
株や家や土地もろもろ、相当な資産を持っているのではと想像されます。
いろいろと調べましたが、竹中平蔵の資産については、公開されていませんでした。
ただパソナの株式は大量に保有しているとされているので、10億ほどの資産があると思われます。
詳しいことがわかり次第、更新していきます。
竹中平蔵の経歴・学歴などプロフィール

名前 | 竹中 平蔵(たけなか へいぞう) |
---|---|
生年月日 | 1951年3月3日 |
出身地 | 和歌山県和歌山市 |
出身校 | 一橋大学経済学部・和歌山県立桐蔭高校・和歌山市立西和中学校・和歌山市立吹上小学校 |
竹中平蔵は1951年生まれで、2020年で69歳を迎えました。
和歌山市出身で、実家は小さな履物屋を営んでいました。
小学生時代は野球少年だった竹中平蔵は、阪神ファンで草野球では成績もよかったと言います。
3兄弟の真ん中に生まれた竹中平蔵、兄の名前は竹中宣雄で現在ミサワホームの社長をしています。
学歴は一橋大学出身

竹中平蔵の学歴がこちらです。
和歌山市で生まれ育った竹中平蔵は、小中学生時代は地元の市立学校の吹上小学校・西和中学校に通っていました。
小中学時代は頭が良くて、常にTOP3に入るような好成績と言われています。
そして高校には、和歌山県内トップクラスの県立桐蔭高校を卒業しました。
高校時代のエピソードは、なかなか見つけることができませんでした。

そして大学は、一橋大学経済学部に入学します。
当時、東京大学の安田講堂が学生運動で占拠されていて、東京大学の入試が行われませんでした。
もし東大の入試が行われていたら、東大に入学していたかもしれません。
大学時代には、マンドリン部に入部。
マンドリン部では、指揮者も任せられるほどのレベルでした。
もともと音楽が好きだった竹中平蔵は、谷村新司のファンだそうで、状況を機に音楽家も目指していたそうです。
竹中平蔵の経歴

竹中平蔵の華麗なる経歴・キャリアがこちらです。
<竹中平蔵の経歴>
1973年:日本開発銀行入行
1977年:日本開発銀行設備投資研究所
1981年:ハーバード大学、ペンシルバニア大学 客員研究員
1982年:大蔵省財政金融研究室 主任研究官(~87年6月)
1987年:大阪大学経済学部 助教授(~89年1月)
1989年:ハーバード大学 客員准教授
国際経済研究所(Institute of International Economics)客員フェロー
1990年:慶應義塾大学総合政策学部 助教授
1996年:慶應義塾大学総合政策学部 教授
1998年:経済戦略会議」(小渕首相諮問会議)メンバー
2000年:IT戦略会議」(森首相諮問機関)メンバー
2001年:「IT戦略本部」メンバー
経済財政政策担当大臣
2002年:金融担当大臣・経済財政政策担当大臣
2004年:参議院議員当選
経済財政政策・郵政民営化担当大臣
2005年:総務大臣・郵政民営化担当大臣
2006年:慶應義塾大学教授 グローバルセキュリティ研究所所長
社団法人日本経済研究センター研究顧問
アカデミーヒルズ理事長
2009年:株式会社パソナグループ 取締役会長
2010年:慶應義塾大学総合政策学部 教授
2013年:産業競争力会議 メンバー
2014年:国家戦略特別区域諮問会議 メンバー
2015年:オリックス株式会社 社外取締役
2016年:東洋大学国際学部教授・慶応大学名誉教授
2016年:SBIホールディングス株式会社 社外取締役
2016年:未来投資会議 メンバー
1973年、一橋大学卒業後に日本開発銀行に入行します。
しかし銀行営業で失格の烙印を押されて、1977年に銀行の設備投資研究所で金融の研究を始めます。

1981年には、ハーバード大学、ペンシルベニア大学客員研究員として留学します。
設備投資に関する研究を行っていましたが、博士課程の試験に合格することは叶いませんでした。
その後大蔵省で実績を積み重ねて、1989年にハーバード大学准教授となります。
1998年からは日本の政治の舞台に進出、小渕・森・小泉・安倍政権の下、構造改革の先頭に立っていきます。
その後も参議院議員や大臣・大学教授を歴任しています。
2009年からは、人材派遣サービスのパソナグループ取締役会長となり、現在も会長職についています。
竹中平蔵の家族!嫁や子供は?

竹中平蔵は、自身の家族についてはあまり口にしていません。
ただネット上の情報では、結婚していて子供もいるということでした。
竹中平蔵の嫁は、竹中節子とされています。
婦人公論に2003年、竹中平蔵について記事を投稿していました。
『妻が語る竹中平蔵大臣の素顔 お笑いと谷村新司と阪神をこよなく愛す』
婦人公論 著者:竹中節子
こちらが竹中節子の画像です。

若く見えますね。
ふたりの出会いは大学時代に遡ります。
一橋大学に通っていた竹中平蔵は、マンドリン部に所属していました。
また嫁の竹中節子は津田塾大学に通っていました。
大学部活動を通じて、ふたりは出会い、その後結婚しました。
気になる子供については、年齢や性別、人数は明らかになっていません。
家族のことについては、口が堅いようでした。