片岡愛之助の生い立ちに知られざる過去があると言われ話題となっています。
今回は、片岡愛之助の幼少期・生い立ちについてまとめていきます。
片岡愛之助の生い立ちは?本名や実家両親など
片岡愛之助にはいろいろと知られざる過去がありますが、まずは愛之助の幼少期・生い立ちについてみていきます。
片岡愛之助は1972年3月4日生まれで、2020年で48歳を迎えました。
本名は山元寛之で、出身は大阪府堺市出身でした。
現在は片岡家の養子に入り、片岡寛之です。
家族は、父親・母親・妹と4人暮らしでした。
実家は工場経営
実家は歌舞伎一族ではなく、堺市にある金属加工工場を経営していました。
実家の金属加工工場では、船の後ろにつけて前へ進むためのプロペラ(スクリュー)を製造していました。
片岡愛之助の幼少期は、自転車に乗るのが大好きでした。
地元の堺の街を自転車で駆け巡り、映画館や公園に遊びに行っていました。
映画館では「E.T.」を見ていたそうで、ごく普通の少年ですね。
5歳で子役に応募
ただ実家のプロペラ工場や周りは大型車両が行き来し、遊ぶには危険な場所で、近所では外遊びができませんでした。
そんな状況を見ていた両親は、習い事の一環で愛之助に松竹芸能のオーディションを受けさせました。
そして5歳の時に、子役オーディションに合格。
オーディション合格後、愛之助は毎週土曜日に松竹芸能の練習スタジオで稽古や芝居の練習を始めました。
そして1979年、愛之助が7歳の時に、NHKドラマ『欲しがりません勝つまでは』に出演し、見事子役デビューを果たしました。
片岡愛之助が歌舞伎役者になるきっかけ・原点ともいえますね。
そして片岡愛之助が小学2年生の時に、大阪・中座に初めて歌舞伎を見に行きました。
愛之助は子供ながら、歌舞伎にとても興味を持ったそうで、その後も練習スタジオで熱心に稽古していたそうです。
そんな愛之助に目が留まったのが片岡秀太郎でした。
片岡秀太郎は、愛之助に十三代目片岡仁左衛門への弟子入りを勧めます。
その後片岡愛之助は「片岡千代丸」と言う名前で歌舞伎を始めることになりました。
19歳の時に養子縁組
その後も持ち前の真面目さと人を惹きつける才能で、片岡愛之助の評価は上がります。
しかしどんなに才能があっても弟子入りしただけでは、主役級の配役を演じることはできません。
そして19歳の時、片岡秀太郎は愛之助に養子縁組を勧めます。
両親にとって跡取りを養子に出すことは、大きな決断でしたが、結果的に愛之助の意思を尊重することになりました。
愛之助は養子縁組後、本名を山元寛之から片岡寛之に変えました。
両親が他界
しかし養子縁組の数年後、工場を経営していた父親は2000年にくも膜下出血で亡くなります。
また母親も一年前の1999年に、末期がんでこの世を去っていました。
いずれも片岡愛之助が、まだ20代の頃でした。
母親の死は、愛之助舞台の千秋楽の翌日でした。
愛之助はこの時のことを、最後まで母親が見届けてくれたと話していました。
両親が他界した後は、残念ながら工場は閉鎖されましたが、建物は残っているそうです。
大阪を訪れたときには、欠かさずお墓参りをしているそうです。
片岡愛之助のプロフィール
本名 | 山元 寛之(片岡 寛之) |
---|---|
生年月日 | 1972年3月4日 |
出身地 | 大阪府堺市堺区神南辺町 |
血液型 | B型 |
片岡愛之助は、2020年現在48歳です。
嫁は、モデルで女優の藤原紀香でした。
半沢直樹出演で注目を集めましたが、これからもまだまだブレイクしそうな歌舞伎俳優です。