今では全国区で有名になったタレントで俳優の大泉洋。
北海道の下積み時代には、さまざまな苦難や出会いがあったようです。
今回は、大泉洋の北海道の下積み時代や生い立ちをまとめていきます。
大泉洋の北海道下積み時代!大学受験で挫折も運命的出会い
大泉洋は、ファミコンよりも周囲を笑わせることが大好きと自賛してるほどのおしゃべり少年で、クラスでは人気ものでした。
高校時代には、遠距離恋愛していた高校の同級生と同じ大学を受験するために、2年間大学受験浪人をします。
かなり頭が良かったという大泉洋は、兄は早稲田大学に一発合格しています。
しかし浪人の勉強もかなわず、希望の大学には行けませんでした。
医学部や東大を目指していたのかもしれません。
2浪していきたい大学に行けなかった大泉洋の気分はどん底。
「高望みして二浪までしたのに結局志望校に入れなかった。人生初の挫折でした。だから、入学当時は合コンも遊びもしたくないという、完全にやる気のない状態でしたね」
引用:マイナビ転職
大泉洋の初めての挫折は、大学受験でした。
大学でタレント人生の運命的出会いが
その後入学した北海学園大学での出会いが、大泉洋のタレント運命を決定づけます。
くしくも志望校でない大学に入学した大泉は、
「このまま腐った気持ちでいるのはマズい」
と思い、演劇研究会に入ります。
演劇研究会の卒業生には、俳優の安田顕や戸次重幸などがいました。
「思いがけず面白い連中がたくさん集まっていて、演劇よりもまず彼らに惹(ひ)かれました。志望校に落ちてこの大学へ入ったのも彼らと出会うための必然だったんでしょうね、きっと」
演劇研究会に入った大泉は、そこで出会った仲間たちの人柄などに惹かれます。
そして演劇研究会で知り合った仲間5人とともに劇団ユニット「TEAM NACS」を結成します。
今では、日本一チケットが撮りづらい劇団として有名です。
知らない人たちを笑わせるのが楽しくてしょうがないという大泉にとって、TEAM NACSは楽園でした。
元気くんでタレントとして高評価
そんな大泉の舞台を見た人の紹介で、北海道の深夜テレビ番組「モザイクな夜V3 」の2代目「元気くん」というキャラクターで出演を果たします。
初めのうちはアルバイト気分だったそうです。
まだ俳優やタレントになる気はなく、卒業したら教員になろうと思っていました。
仕事場は札幌ススキノで、
いざ現場に行ってみたらそこにあった衣装は、ラクダの股引に黒いトックリセーターで、胸にハート形の穴を開けて、乳首を出してね。ディレクターさんに言われたのは、「今日からキミは元気くんです」と。「元気くん」というキャラクターで、ススキノのニュークラブを取材するってコーナーをやってたんですよ。
お姉ちゃんに「カードを引いてください」とか言って、引いたカードには「足のにおいを嗅がせる」とか書いてある。で、僕がお姉ちゃんの足のにおいを嗅いで「うん、酸っぱい」とか言う。最低の番組でしたよ!
引用:ダ・ヴィンチニュース
元気くんの仕事は、下ネタが多い役柄だったようですが、この経験がタレントとして評価されることになりました。
そしてバラエティ番組「水曜どうでしょう」へレギュラー出演することになります。
「水曜どうでしょう」の大泉が好評で、北海道で知らない人はいないようになりました。
他にもレギュラー番組が増えます。
大泉洋の大学卒業後の下積み時代!番組打ち切りでピンチ
大泉洋は大学卒業後、就職せずに役者・タレントを続けることにしました。
就職先が見つからない同級生もたくさんいたので、だったら僕は、とりあえず目の前にあるテレビの仕事や劇団の活動をしっかりやっていこうと。もともとものぐさで、将来を考えたりするのが面倒というのもあったのですが(笑)
引用:マイナビ転職
理由は、就職氷河期だった当時、このままタレントの仕事を続けていた方が良いと思ったそうです。
しかしその後、「水曜どうでしょう」がいったん終了することになり、大泉洋にとってまさに青天の霹靂でした。
「水曜どうでしょう」が仕事の柱だった大泉洋は、元もと北海道で仕事ができればと思っていました。
番組が無くなることで仕事を続けていけるのか不安に感じるようになります。
頑張ったり努力しないと仕事はあっという間になくなると危機感を持った大泉は、芝居の仕事をきちんとやっていこうと決めます。
しかし芝居の仕事は北海道には少ないという壁にぶち当たります。
そこで東京へ進出するしかないと思った大泉でしたが、東京では無名な大泉は、
- 自分がどう仕事をしていけばいいのか?
- 東京でエキストラ出演して、北海道のファンをがっかりさせたくない
といった悩みを持つようになります。
ドラマ出演で知名度が全国に
そんなある日、連続ドラマ「救命病棟24時」への出演が決まります。
ドラマはシリーズ化されることも決まり、大泉洋の知名度が全国に広がることになりました。
大泉洋自身、ドラマ出演は本当にラッキーだったと話しています。
「本当にラッキーでした。僕は自分に自信がないし、実力を過信していない。でも人や仕事と出会う力はあると思う。二浪の末、希望の大学へ行けなかった時も、それによって仲間に出会えたわけだし。こんな風に絶好のタイミングでいい仕事に巡り合えているのも、事務所のスタッフのお陰なんです」
大泉洋自身実力はないけど、周りの人との巡り合わせがラッキーな展開を導いてくれたと話しています。
自分が人間関係をとても大事にしていたのが良かったと振り返っていました。
現場を楽しくしたいという気持ちが人一倍強い大泉の性格が、知名度向上につながったのかもしれません。
大泉洋のプロフィール
名前 | 大泉 洋(おおいずみ よう) |
---|---|
生年月日 | 1973年4月3日 |
出身地 | 北海道江別市大麻 |
身長・体重 | 178cm・? |
所属事務所 | CREATIVE OFFICE CUE |
2人兄弟の次男として生まれた大泉洋は、2020年で47歳を迎えます。
出身地の江別市は札幌市のベットタウンで、小学5年生まで過ごし、その後札幌市南区真駒内に引っ越しました。
実家の家族構成
実家には、
- 父親
- 母親
- 兄
の4人家族で、両親はともに教師をしていました。
父の大泉恒彦は、北海道江東盲学校の校長をしていたスゴイ人でした。
教師時代は国語の先生をしていて、現在の年齢は82歳です。
母の大泉正子は、中学教員で英語の先生をしていました。
母の年齢は非公表ですが、父親が80歳なので、80歳前後と思われます。
大泉洋の兄の名前は大泉潤で、年齢は54歳と大泉洋の7歳年上です。
大泉洋と顔がそっくりらしく、よく見間違えられるそうです。
兄は北海道函館市の観光課に勤めている公務員で、函館市が故郷のGLAYのTAKUROとは顔見知りだとか。
函館でライブやイベントをする際には、いろいろ手伝いをしているそうです。
大泉家の家訓がおもしろいと話題
大泉洋自身が面白いタレントですが、実家の家訓も面白いと話題です。
大泉洋が映画『焼肉ドラゴン』のイベントに出演した際、実家の家訓について紹介していました。
「親父が言っていたのは、『食べられるか食べられないか、食べて判断する』っていう。腐っているから食べられないかもしれないけれども、食べて判断する」
腐っているか、賞味期限は自分で食べて判断するのが大泉流だそうです。
出身中学・高校 学歴は
大泉洋の出身中学は、札幌市立真駒内中学校と実家からほど近い公立の中学校に通っていました。
バスケットボール部に所属していましたが、あまりうまくならず中学卒業と同時にバスケはやめています。
小学生のころから面白くモテていた大泉は、自作のコントを披露してかなりウケていたそうです。
出身高校は、札幌市立藻岩高校で、偏差値は59と頭が良くないと入れない進学校です。
進学校ながら部活動も盛んで、卒業生には、
- 山崎マリ(女子プロ野球選手)
- 杉村太蔵(元国会議員)
などがいました。
大泉洋は高校時代は帰宅部で部活には所属していませんでしたが、
趣味の落語にのめりこみ、落語のテープを何度も聞きこんでいました。
当時の落語テープは宝物だそうです。