東京オリンピック・スケートボード女子パークで金メダルを獲得した四十住さくら。
そんな四十住さくらは韓国人とのうわさがありますが本当なのでしょうか?また実家の兄や父親・母親の家族情報も気になります。
今回は、四十住さくらの韓国人の噂の真相や兄・父親・母親などの家族情報をまとめていきます。
四十住さくらは韓国人はデマ!名前の読み方は!?
四十住さくらが一部で韓国人なのでは?と言われていますが、結論から言うと全くのデマであることがわかりました。
四十住さくらは日本人の父親と母親を持つ純粋な日本人です。
韓国人であると噂が出た理由は、
「四十住さくら」の苗字の読み方が難しいことがあります。
「四十住」の読み方は、「よそずみ」です。
また苗字の漢字も日本人には珍しかったため、韓国人在住者の多い日本ではすぐに韓国人との噂につながってしまうようでした。
実際に「四十住」の姓を持つ人は、日本に数百人しかいないとても珍しいお名前でした。
四十住さくらが韓国人というデマが広がった二つ目の理由は、本人のお顔だったようです。
この投稿をInstagramで見る
四十住さくらの顔の特徴はキリっとした顔立ち。
切れ長の目が印象的です。
韓国人にも切れ長の目の人が日本人よりも多く、そのため韓国人とのデマが流れてしまったようですね。
四十住さくらの兄は13歳歳の差!スケボー選手だった!?
四十住さくらの兄の名前は、四十住麗以八(よそずみれいや)です。
初めて見る珍しいお名前です。
こちらが四十住さくらの兄の写真です。
この投稿をInstagramで見る
家族仲良く海に遊びに行った時の写真でした。
四十住さくらは兄がスケボーしているのを見て、かっこいいと思い自分もやりたいとスケボーを始めました。
四十住さくらのスケートボードの手入れは兄がしていて、多くの時間を妹のサポートに費やしているようです。
そんな兄は、2018年に四十住さくらが世界選手権で優勝した時に、ボードに「お兄ちゃん大好き」とお願いしたそうです。
実際に四十住さくらは「お兄ちゃん大好き」とボードに書きました。
この投稿をInstagramで見る
四十住さくらの父親・母親家族情報
四十住さくらの父親の名前は、四十住和次(かずつぐ)で2021年現在55歳です。
父親の職業情報は見つかっていませんが、四十住の実家ではヤギを飼育しています。
自宅の畑をスケート練習場に作り替えたとのことで、もともとは農家を営んでいた可能性もあります。
四十住さくらの父親はスケートボードの経験はなく、四十住さくらがスケートボードをすることに当初は反対していました。
ケガの多いスポーツで、ヤンキーが楽しむスポーツとのイメージがあったそうです。
この投稿をInstagramで見る
父親は何とかスケボーを諦めさせるために、無理ともいえる厳しいメニューとノルマを課していました。
しかし四十住さくらは、逆に闘志に火が付き、スケボーのレベルを上げていきました。
四十住さくらのスケートボード成績は以下の通りです。
<四十住さくらの成績>
・2016年10月:全日本レディースクラス 優勝
・2017年1月:アマチュア15歳上のセクション3位(アメリカ)
・2017年4月:日本スケートボード選手権大会女子
ストリート部門 準優勝
・2018年5月:日本スケートボード選手権 優勝
・2018年6月:Vans Park Series 優勝
・2018年7月:X Games Minneapolis 2018 銅メダル
・2018年11月:スケートボード・パーク世界選手権 優勝
そんな娘の姿を見た父親は、車を運転して娘の遠征をサポートしていました。
この投稿をInstagramで見る
そして四十住さくらの母親の名前は四十住清美(きよみ)で、2021年現在の年齢は57歳です。
和歌山の実家周辺には、スケートボード練習場がなく、大阪・兵庫・奈良・三重などの県外練習場に通う必要がありました。
そんななか母親は、往復3時間の送迎を毎日のように続けていました。
さらに練習中の動画撮影もしていました。
学校が終わり夕方から練習を始め、練習が終わるのが夜23時頃で、帰宅時間は深夜を過ぎる生活が毎日続きました。
一か月のガソリン代は15万を超えるなど、家計への負担も増していました。
この投稿をInstagramで見る
そのため金銭面の問題から、何度も引退の危機にさらされていました。
2017年1月カリフォルニアで開催された「EXPOSURE 2017」で結果を残せなければ、引退という土壇場でした。
しかし見事に四十住さくらは3位入賞し、3000ドルの賞金を獲得します。
さらに2018年6月開催の世界トップリーグ「VANS PARK SERIES(ブラジル・サンパウロ)」で優勝し、2万ドルの賞金を獲得します。
この投稿をInstagramで見る
四十住の活躍に目を付けた地元輸入時計店がスポンサーにつき、金銭的問題は解決。
引退の危機を脱したのでした。
さらに東京オリンピックの金メダル獲得で、土壇場・大舞台での強さがよくわかる四十住さくらでした。