寺島しのぶの息子・眞秀の通う小学校が最難関の慶應義塾幼稚舎と話題になっています。
歌舞伎一家ご用達の青山学院初等部に進学しなかったのが気になりますが、実は寺島しのぶの深い考えがあったようです。
今回は、寺島しのぶの息子・眞秀が通う慶應義塾幼稚舎の倍率や学費、青山学院に進学しなかった理由などをまとめていきます。
寺島しのぶの息子の名前は眞秀!顔写真は!?
寺島しのぶの息子の名前は眞秀、読み方は「まほろ」です。
息子の眞秀は2012年9月12日に生まれ、2021年で9歳を迎え、この春から小学3年生になります。
フランス人とのハーフ!将来イケメン!?
寺島しのぶの旦那である眞秀の父親はフランス人で、眞秀は日本人とフランス人のハーフでした。
寺島しのぶは、2007年フランス人アートディレクターのローラン・グナシアと結婚し、
歌舞伎一族の寺島しのぶが国際結婚したことは、大きな話題となりました。
寺島しのぶの息子が通う小学校は慶應!倍率や学費は!?
寺島しのぶの息子の眞秀は、慶應義塾幼稚舎に通っています。
慶應義塾幼稚舎は日本最難関の私立小学校と言われていて、合格倍率は10倍以上。
女子に限っては倍率は15倍です。
気になる学費は初年度は160万円で、その他寄付金や塾債(学校債)も支払う必要があります。
小学校6年間で1000万円近く学費がかかることになりますが、他の私立小学校と変わらない学費ともいえます。
とは言っても、学費が高いことに変わりはありませんが。
寺島しのぶの息子が慶應義塾幼稚舎に入学した理由とは?青学進学しない理由
将来歌舞伎俳優になると目されている寺島しのぶの息子の眞秀。
歌舞伎役者ご用達の小学校と言えば、青山学院初等部です。
青山学院初等部が歌舞伎界に人気な理由は、大学の付属であることです。
初等部に入学すれば、よほどのことがない限り、受験しないでエスカレーター式に青山学院大学に進学できます。
猛勉強する必要がなく、歌舞伎役者にとって芸事に専念できるメリットがあります。
また青山学院側も、伝統芸能の活動に理解があり、学業と稽古の両立がし易いこともあります。
2017年には市川海老蔵の長女・れいかが青山学院初等部に合格し、2018年には長男のかんげんも合格し進学しています。
青学を選ばなかった理由は、染五郎が関係!?
歌舞伎役者ご用達で、寺島しのぶ自身青山学院出身にもかかわらず、なぜ息子の眞秀の進学先に青山学院初等部を選ばなかったのか気になります。
その理由には、七代目市川染五郎(現:松本幸四郎)が関係していると言われています。
寺島しのぶと市川染五郎は幼馴染みで、どちらも歌舞伎界の家に生まれ家も近いです。
青山学院では同級生で、その後ふたりは交際し始め、交際期間は6年間にも及びました。
しかし2003年に市川染五郎は突如別の女性と婚約を発表します。
しかもそのお相手が、同じ青山学院の高校の同級生で資産家の令嬢でした。
当然同級生だった寺島しのぶと資産家の令嬢は、知り合い同士です。
市川染五郎の突然の婚約発表に、寺島しのぶはかなりのショックだったようです。
そんな苦い思い出の多い青山学院に息子を入学させたくない、もしくは親となってまで青山学院とかかわりたくないという思いがあったのかもしれないですね。
慶應進学は、将来の選択肢を広げるため!?
寺島しのぶが息子の眞秀を青山学院ではなく慶應義塾幼稚舎に進学させたもう一つの理由は、
歌舞伎役者になれなかった時の選択肢を広げておくためでした。
寺島しのぶ自身、歌舞伎役者になりたかったものの、自身が女性であるため叶わなかった悔しさがありました。
歌舞伎一家に生まれた寺島しのぶは子供の頃、弟の5代目尾上菊之助が初舞台の時、年上の自分が舞台に立てなかった過去がありました。
寺島しのぶは当時の気持ちについて、
「家族の中で自分だけ取り残されていく気がした」
といった孤独感を抱き、かなりつらい子供時代の経験があったことがわかります。
「眞秀くんは“初お目見え”を果たしていますが、将来的に跡取りにはなれません。菊五郎になるのは弟・菊之助さんの長男で、眞秀くんより1才年下の和史くんというのが既定路線です。
来年、和史くんが青山学院初等部に入学し、将来の團十郎や菊五郎と同じ小学校に通いながら、自分は大名跡を継げないという“現実”を、いずれ眞秀くんは突きつけられることになる。それを知ったうえで厳しい芸事の練習に励むのは、とてもつらいでしょう。
その苦しさは、歌舞伎役者になりたくてもなれなかった寺島さん自身が痛いほどわかっている。だから、将来、眞秀くんが“歌舞伎とは違う世界に”と思った時に備えて、より選択肢が広がる慶應義塾幼稚舎を受験させたのかもしれません」
また血筋の面で、将来歌舞伎の跡取りとなるのは、寺島しのぶの弟・菊之助の長男・和史と言われています。
歌舞伎一家に生まれながら、歌舞伎役者になれないという悔しい未来とならないよう、より選択肢が広がる慶應義塾幼稚舎に入学させたようです。