テレビドラマで見ない日はないと言ってもいい俳優の山田裕貴。
そんな山田裕貴は幼少時代は野球に熱中していて、高校は名門の東邦高校に通っていました。
また父親が元プロ野球選手ということで、いったいどんな父親なのか?気になります。
今回は、山田裕貴の野球部ポジションや東邦高校時代、さらに元プロ野球選手の父親は誰なのか?まとめていきます。
山田裕貴は幼少から野球少年!ポジションやプロフィール!
人気若手俳優の山田裕貴は幼少時代から野球に熱中する少年でした。
まずは、山田裕貴のプロフィールを見ていきます。
本名 | 山田裕貴(やまだゆうき) |
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生年月日 | 1990年9月18日 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
血液型 | O型 |
身長 | 178cm |
特技/趣味 | 野球・バレーボール/サブカルチャー |
山田裕貴が野球を始めた理由は、プロ野球選手だった父親の影響が大きいようで、父親にあこがれを持っていたそうです。
そんな山田裕貴は、父のようなプロ野球選手になりたい一心で、小学生のころから野球の練習に打ち込みます。
名古屋市内の市立高見小学校に通っていた山田裕貴は、名古屋市内のリトルリーグに所属し硬式野球を始めました。
所属していたリトルリーグが全国大会に出場するなど、小学生時代の野球生活は楽しいものだったことでしょう。
野球のポジションはピッチャー!
中学生になると、名古屋市千種区にある市立若水中学校に入学。
名古屋市内のシニアリーグ「名古屋北シニア」で硬式野球を始めました。
しかし中学生時代に、実力の差や現実を見せつけられる出来事が多く起こります。
所属していた名古屋北シニアは全国大会にたびたび出場する強豪チームでした。
山田裕貴のポジションはピッチャーでしたが、仲間にさらに強いピッチャーがいたことからレギュラー出場はほとんどかないませんでした。
山田裕貴は足が速かったものの、バッティング力が弱く打席に立つことも少なかったようです。
プロ野球選手の父を持つ自分が、野球で結果を出せないことに、かなりのコンプレックスを抱える中学生時代だったようです。
山田裕貴は東邦高校出身!野球部に所属していた!?
山田裕貴は私立東邦高校に進学します。
東邦高校と言えば、野球部が甲子園に何度も出場する強豪校として知られています。
しかし山田裕貴は、東邦高校で野球部に入部することはありませんでした。
やはり中学生の頃に挫折を味わい、別の道を歩む決意をしたからでしょう。
ただ、元プロ野球選手の父親の出身校でもあることから東邦高校に進学したのでした。
高校ではバレーボール部に所属!
そんな山田裕貴は、高校時代はバレーボール部に所属していました。
それまで野球少年として鍛えていた山田は、バレーボール部でも馴染むことはできたようです。
バレーボール部時代の成績は、明らかになっていませんでした。
高校時代の山田裕貴はイケメンだったもののかなりシャイだったと話しています。
「高校時代を思い出すと、女の子と話すだけで顔が真っ赤になっていたり、連絡先を聞くことだけで2,3時間悩んでいたこともあったから」
山田がシャイだった理由は、中学時代まで野球に打ち込みすぎて、女の子とどう接していいかわからなかったようです。
高校時代の初恋人とは、手をつなげるようになるまで、4か月かかったそうです。
山田裕貴の父親は元プロ野球選手の山田和利!
山田裕貴の父親が元プロ野球選手と話してきましたが、どんなお方?なのか気になります。
山田裕貴の父親は山田和利という元プロ野球選手でした。
父親の山田和利は、山田裕貴と同じ東邦高校からドラフト4位で中日ドラゴンズに入団します。
中日ではレギュラーとして活躍することは少なかったため、選手時代の山田和利を知る人は少ないようでした。
その後広島東洋カープに移籍し、ポジション・ファーストでレギュラー出場を果たします。
その後中日に再復帰しますが、故障が続き間もなく引退しています。
引退後は後進の育成に努め、中日と広島でコーチを担当していました。
2021年現在も広島カープで守備・走塁コーチを務めています。